その他(論文)


沖縄のシャーマニズム&ケガレ論

・「シャーマニズムの変貌-世界観の現代化-」

 『アジア遊学』53号、pp.111-120、平成15年7月、勉誠出版、塩月亮子

・「インターネットにみる日本の『伝統的』シャーマニズムと癒し-ネオ・シャーマニズムとの比較を通して-」

 『日本橋学館大学紀要』第3号、pp.109-118、平成15年3月、塩月亮子

・『シャーマニズム復興の近代文化論』(博士論文主論文)

 名古屋大学大学院文学研究科に提出、平成15年5月、塩月亮子

・『沖縄におけるケガレ観のジェンダー論的研究』(博士論文副論文)

 名古屋大学大学院文学研究科に提出、平成15年5月、塩月亮子

・「インターネットに見る今日のシャーマニズム-霊性のネットワーキング-」

 『日本橋学館大学紀要』第2号、pp.79-88、平成15年3月、塩月亮子(共著者:佐藤壮広)

・「沖縄における生理用品の変遷-モノ・身体・意識の関係性をめぐって-」

 『日用品の20世紀』国立民族学博物館編、ドメス出版、pp.186-203、平成15年3月、塩月亮子

要旨:沖縄における生理用品の変遷をたどりながら、用品そのものの変化が、「漏れない」、「蒸れない」といった身体感覚の変化を引き起こし、そのことがさらに「ケガレ観の希薄化」という意識の変化までももたらしたことを明らかにした。

・「ユタ的女性祭司による霊性ネットワークの創出」

 『宗教と社会』第8号、pp.141-147、平成14年6月、塩月亮子

要旨:ここでは、沖宮神社の女性宮司(T・K)による宗教活動を紹介し、沖縄にみられる個々人の霊性を重視した宗教的ネットワークの創出状況とその特徴を明らかにすることを試みた。その結果、沖縄では、今まさに霊性に基づく個人参加型で選択縁による新たなネットワーク、換言すれば「霊性の自助グループ」が、「ユタ的祭司」である女性宮司により創出されていることを明らかにした。

・ 「『肯定的狂気』としてのカミダーリ症候群-心理臨床家を訪れたクライアントのケース分析-」

 『日本橋学館大学紀要』第1号、pp.109-123、平成14年3月、塩月亮子(共著者:名嘉幸一)

要旨:沖縄の民間巫者(ユタ)やその候補者の多くは、カミダーリという巫病を経験するが、その時点で近代医学の病院やカウンセラーのところを訪れることが珍しくない。本論では、クライアントとなったユタ、あるいはユタ候補者たちの霊的体験を詳細に分析した結果、カミダーリには苦しみとともに、これまで看過されてきた神との交わりからくる悦びの側面があること、さらに性格・気質診断からみた場合、彼女(彼)らは分裂的疾患とは違いがあることを明らかにした。また、沖縄ではカミダーリとよばれる心身異常状態を「聖なる狂気」とみなし、社会的に排除せず肯定的に受容する点も指摘した。

・「表象としてのシャーマニズム-沖縄の映画と文学にみるアイデンティティ・ポリティックス-」

『哲学』第107集、pp.1-20、平成14年1月

要旨: 近年、沖縄を描いた映画や文学作品において、「沖縄らしさ」や「沖縄的なるもの」の表象として、ユタとよばれるシャーマンや、それを取り巻くシャーマニズム文化が取りあげられることが多くなった。本論では、このようなシャーマニズム文化がエスニック・アイデンティティを表象するものとして再評価される動きを調査分析した結果、それは現在の「シャーマニズム復興」、あるいは「宗教復興」現象と密接に関連すること、そしてそれはシャーマニズムに「反権力・反体制装置」としての機能があるからという点を明らかにした。

・「沖縄における死霊観の歴史的変遷-静態的社会人類学へのクリティーク-」 

 『国立歴史民俗博物館研究報告書』第91集、pp.219-235、平成13年3月、塩月亮子

 要旨:現在、沖縄ではユタ(シャーマン)の唱える災因が生霊や死霊から祖先霊へと変化している現象に着目し、それは沖縄に限らないグローバルな現象としての近代的「個(己)」の確立と関連した動きであり、近代における災因は死霊や生霊という自己とは関係のない外在的要因から、次第に自己に関連する行為という内在的要因に集約されていきつつあることを指摘し、ユタの唱える災因論が人々の支持を集めているメカニズムを従来の静態的社会人類学とは異なる動態的観点から明らかにした。

・「聖なる狂気-沖縄シャマニズムにおける憑依現象-」

 『癒しと救い-アジアの宗教的伝統に学ぶ-』立川武蔵編、pp.43-62、玉川大学出版部、平成13年2月、塩月亮子

要旨:沖縄にはカミダーリという「狂気」を「聖なる狂気」として肯定する文化があることを、沖縄における狂気観やユタの憑依体験、ユタの弾圧史とそれに対するユタの生き残り戦術、精神病院の設立からみた精神医学の普及、などを通して明らかにした。

・「沖縄における尾類馬行列の歴史社会学的考察-<都市祝祭とセクシュアリティ>研究に向けて-」

 『祝祭の一○○年』日本生活学会編、pp.102-128、ドメス出版、平成12年9月、塩月亮子

要旨:沖縄における三大祭りのひとつ、尾類馬(じゅりうま)行列は、那覇の辻遊郭の人々により毎年旧正月20日におこなわれていたもので、尾類とよばれる遊女たちが着飾って町を練り歩く都市祝祭であった。この遊女の祭りの歴史的変遷を明治から昭和までの新聞を初めとする資料から明らかにし、明治期以降の政府によるセクシュアリティ統制と遊郭の祭りのあり方の関連性に着目してセクシュアリティと係わる都市祝祭が近代になりどのように廃止され、また戦後復活していったのかを歴史社会学的に跡づけた。

・「巫女と遊女の統制史-明治期から昭和初期までの沖縄近代化政策をめぐって-」

 『日本女子大学 人間社会学部 紀要』第10号, pp.133-145、平成12年3月 塩月亮子・渋谷美芽の共著

要旨:沖縄において、ユタ(巫女)とジュリ(遊女)は、ともに社会的底辺に属する女性とされ、差別の対象となってきた。彼女たちに対する社会的弾圧の特徴とその共通点を、明治以降の新聞資料を基に明らかにしながら、両者がともに「あの世」と「この世」を繋ぐ者であり、それゆえ時の為政者・体制側がその統御不可能性を恐れ、統制・弾圧をおこなってきたと推論した。

・「女たちの生活ポリティックス-沖縄村落の統合と葛藤の政治人類学-」

 『生活学論叢』第4巻、pp.3-13、平成11年9月、塩月亮子

要旨:本稿では、日本民族学会第32回研究大会(平成10年5月)での発表「シャーマニズムの政治性-ミクロとマクロの視点から-」を受け、宗教の機能が社会統合であるという機能主義的見方を批判し、C.ギャーツの提唱する「宗教は葛藤の源泉」という立場から、沖縄の村落における宗教者である女たちのミクロポリティックスを分析した。その結果、村落祭司役のカミンチュたちの間に、神役ヒエラルキーをめぐる葛藤・紛争が存在し、下位カミンチュたちは上位カミンチュたちに対抗するため、ユタ(シャーマン)という自由な身となって、霊力で相手を威圧しようという政治的な動きがみられることを明らかにした。

・「沖縄シャーマニズムの現代的変容-民族的アイデンティティの宗教社会学的研究-」

 宮家先生退官記念論文集『民俗宗教の地平』pp.221-234、春秋社、平成11年3月、塩月亮子

要旨:本稿では、沖縄シャーマニズムの新たな変容状況と、その背後にあるシャーマニズムの政治性について、M.ヴェーバーの提唱した支配の三類型における「カリスマ支配」と「伝統支配」の概念を用いた宗教社会学的分析をおこなった。その結果、沖縄本島において、ユタ(シャーマン)は「カリスマ」的であるのに対し、村落祭祀を司るカミンチュ(村落祭司)は「伝統支配」的であること、さらに、カリスマ性をもつユタは、新たな「沖縄人」アイデンティティ再構築のための手段として「ニューエイジ」文化を取り込みつつ、従来の権力に対する反権力として「伝統支配」に対抗していることを明らにした。

・「日本におけるシャーマンの脱魂体験」

 『民俗宗教』 第5集, 木曜会編、pp.1-23、平成7年5月、東京堂出版、塩月亮子

要旨:本稿では、宗教と社会の関係に焦点をおき、日本におけるシャーマンの成巫過程を、ファン=ヘネップの通過儀礼論を基に一種のイニシエーションとみなして分析した。その結果、シャーマンの多くはイニシエーション過程において脱魂体験を経験していること、およびその特徴は他界訪問や飛翔であることを明らかにし、従来シャーマンの憑依体験の調査研究に傾きがちであった日本のシャーマニズム研究において、脱魂体験が成巫過程でいかに重要な要素であるのかを主張した。

・「沖縄における生理用品の変遷-モノ・身体・意識の関係性を探る研究にむけて-」

 『民族学研究』第59巻 第4号、pp.464-469、平成7年3月、塩月亮子

要旨:F.ブローデルの主張するアナール学派的視点に基づき、沖縄の月経処置法の変化とそれに伴う身体感覚の変化、行動・意識の変化について分析した。その結果、月経の処置法は江戸時代以前は木や草の葉を当てていただけだが、明治・大正時代になるとぼろ布に手製のT字帯を締め、昭和初期になると脱脂綿に月経バンド、現在はナプキンと生理用ショーツに変化し、それに伴い、身体感覚は次第に締め付けられたり蒸れたりして不快になっていくものの、経血が漏れにくくなることから意識や行動は開放的になったと結論づけた。

・「母子伝承を考える-沖縄における月経処置の変遷を通して-」

 環境文化研究所『所報 環文研』第35号, pp.18-21、平成6年12月、塩月亮子

要旨:沖縄の事例を基に、歴史社会学的視点から、月経をめぐる母子伝承に関してその処置法や意識の歴史的変遷を考察した結果、明治期以前、月経に関する知識・態度は主に母親によって家庭内伝承として伝えられてきたが、その後、月経教育は家庭内から学校へとその役割を移行したこと、だが、家庭にかわって伝承の役割を担うことを期待された学校ではそれがうまく機能していないことを明らかにし、近代以降、月経に対する積極的な意味づけが困難となっていることの要因とした。

・「海人の禁忌-沖縄本島字備瀬と字糸満との比較を通して-」

 『常民文化』第17号、pp.53-72、平成6年3月、塩月亮子

要旨:本稿では、沖縄の南北二地域のコスモロジーに歴史的関連性があるという歴史社会学的観点から、二地域に伝わる漁民の禁忌事項に焦点を当て、伝播論的分析を行った。その結果、両地域とも女性を含むケガレ観が海人(漁師)の禁忌の観念と強く結びついていること、両地域にみられる禁忌事項は(1)女性に対する禁忌 、(2)動物(四つ足)に対する禁忌、(3)比喩的連想による縁起かつぎに反する行為への禁忌、という三点に収斂されること、また、歴史文化的に漁業技術の指導者と被指導者という両地域の関連性が、禁忌事項の類似性の背景にあることを明らかにした。

・「沖縄の死霊観-中国・韓国との災因論的比較研究-」

 『南島史学』第41号, pp.34-50、平成5年5月、塩月亮子

要旨:本稿では、イギリス社会人類学の中でエヴァンス=プリチャードが唱えた災因論研究の静態性を批判し、動態的視点に基づく災因論研究の立場から、沖縄の死霊観を中国・韓国の社会構造における死霊観との比較を通じて分析した。その結果、これら三地域すべてにおいて死霊は災因と認識されているが、沖縄では、時代の移り変わりに伴い、死霊が不幸の説明体系としての災因論から次第に姿を消し、かわりに祖先霊が新たな災因として重視されつつあるという、災因論の動態性を明らかにした。

・「『かたり』としての沖縄シャーマニズム-その癒しの生成についての試論-」

 『プシケー』第11号、日本ユングクラブ編、pp.73-91、平成4年6月、新曜社、福島哲夫・塩月亮子の共著

要旨:沖縄のユタ(シャーマン)の託宣時の「かたり」を、ユタとクライアントの「対話」と「交流」による相互構築的な「物語」の再構築作業として捉え、それが心理療法における「かたり」と同じ構造をもち、この構造が癒しをもたらすということを、ユタの託宣場面の綿密な会話分析(社会学におけるエスノメソドロジー)をおこなうことによって明らかにした。

・「ケガレ論再考-沖縄・備瀬における女性のケガレを通して-」

 『民族学研究』第56巻第4号、pp.429-439、平成4年3月、塩月亮子

要旨:本稿では、従来沖縄にはないとされた女性のゲガレ観が実際に存在することを明らかにし、構造論的三元モデルに基づきその分析をおこなった。構造論的三元モデルとは、レヴィ=ストロースの親族構造モデルのゼロ記号の観念を用いて象徴的二元論を発展させたもので、浄/不浄の変換を促す力(ゼロ)を想定した。その結果、変換を促す力は漁師を初めとする男性であることを明らかにし、沖縄・備瀬の女性のケガレ観は男性中心的な世界観をもつユタ(シャーマン)等の影響を受けた、近年の男女の社会関係の所産と結論づけた。

・「沖縄・備瀬における災因論-ユタとの関係を通して-」

 (慶應義塾大学大学院修士論文)、平成4年3月、塩月亮子

要旨:本稿は、社会人類学における文化変容の視点から、従来固定的・不変的なものと考えられてた災因論が、実は時代と共に変化するものであるということを、社会構造との関係から明らかにした。具体的には、60歳代以上はイチジャマ(生霊)やシニマブイ(死霊)など妖術・悪霊を災因として挙げたのに対し、それ以下の年代は先祖の供養不足・系図の誤りなど、先祖に関することを災因として挙げた。その変化の要因に、近年における父系出自を重視するイデオロギー(門中イデオロギー)の普及を挙げ、親族組織とコスモロジーが動態的に連関していることを明らかにした。

ヤップ島のケガレ&セクシュアリティ論>

『ミクロネシア・ヤップ島における葬儀-ケガレの政治人類学-』

 平成11年9月 表現社 『葬儀』第53号, pp.73-76

D.ラビーの浄/不浄論を基に、ヤップ島における社会的イデオロギーの中で規定される不浄、すなわちにデュモン的意味でのカースト制に似た浄/不浄を軸とする社会階層における不浄観に焦点を当て、従来上層民の所有物として死者の棺担ぎや穴掘り、埋葬などさまざまな賦役やタブーを課されてきた最下層村落民が、最近になって海外へ移住あるいは留学したりして経済力・学歴を身につけることで伝統的な社会的格付けの規範から脱しようとしている状況を論じ、社会的に最下層に位置づけられた彼らのヤップ社会における政治的戦略の様態を明らかにした。

『ミクロネシア・ヤップ島における葬儀-死の歴史社会学-』

 平成11年7月  表現社 『葬儀』第52号, pp.73-76

ミクロネシア・ヤップ島の葬儀は、一見キリスト教式におこなわれているようにみえるが、葬儀全体のプロセスを詳細に追っていくと、その背後には脈々とキリスト教伝来以前のヤップ固有の世界観が息づいていることがわかる。本稿では、歴史社会学的観点からヤップ島におけるキリスト教の受容による葬儀内容の変化と、それとは対照的に以前から変わることなく保持されてきた社会的互酬性の場としての葬儀について論じた。

『ミクロネシア・ヤップ州における10代のセクシュアリティ-妊娠・出産現象からみた社会変容と歴史的持続性-』

 平成11年3月 日本女子大学紀要 第9巻, pp.209-225

本稿では、家族社会学が問題としてきた嫡出の原理を再検討するため、ミクロネシアのヤップにおける家族構造の歴史的変換をあとづけながら、10代のセクシュアリティの通時的な統計分析、および社会構造分析を行った。その結果、妊娠率・出生率はここ10年間は他国に較べて高い数値を示し、社会変容に伴い近年多くの未婚の母が輩出されていることを析出した。しかし、彼女たちが厳しい差別を受けずに社会的に受容される背景には、外婚母系制や養取制度などの伝統的社会構造が関連しており、ヤップ社会においてはB.マリノフスキーの唱える「社会学的父親」が必ずしも重要視されないことを明らかにした。

「『publicなケガレ』から『privateなケガレ』へ-ミクロネシア・ヤップ島における女性に関するケガレ観の動態的研究-」

 平成10年3月 日本女子大学紀要 第8巻,  pp.161-174

本稿では、M.ダグラスの象徴論における通時的変化に対する視点の欠如を批判的に検討するため、ミクロネシアのヤップ島を取りあげ、そこにみられるケガレ観の動態性をフェミニズム人類学のpulic/privateという区分を分析概念として用いて分析した。その結果、葬式など皆が周知である「publicなケガレ」は存続していくが、月経のケガレは月経小屋の消滅をはじめ、生理用品の普及や学校教育などにより徐々に「private」なものとして認識され、ケガレ視されないという社会構造上の変化が起こっていることを明らかにした。

「日本・ヤップ関係小史-南洋群島からダイビング・スポットへ-」

 平成9年3月 環境文化研究所, 所報 環文研 第44号, pp.24-27

本稿では、歴史社会学・歴史人類学が提唱しているコロニアリズム研究に基づき、日本のヤップへのまなざしの変化を分析した。その結果、ヤップは日本人にとって(1)戦前は南進論に基づく日本人移住地、(2)戦中は日本軍派遣後の食糧供給地・軍事基地、(3)戦後は日本に輸出するマグロの供給地、および日本人をはじめとする観光客のためのダイビングスポット・ヨットハーバーなどの観光地として捉えられてきたことがわかった。このことから、依然として北による南の搾取という南北構造が変化していないことを明らかにした。

「ヤップ島嶼関係-伝統と近代のはざまで-」

 平成8年12月 環境文化研究所,所報 環文研 第43号, pp.16-19

E.ホブズボウムやB.アンダーソンが指摘した「近代における国家の創出」という視点から、ミクロネシアのヤップ島嶼における政治体制について考察した。その結果、人々は以前の朝貢制度に基づくヤップ本島を頂点とした伝統的価値体系と、近代新しく創出された国家による民主主義的な価値体系との間で葛藤を起こしていることがわかった。このような中、伝統的には下位におかれた離島民が、教育程度の向上や会議の結成という戦略を通して、ヤップ本島に対する地位向上と独立性を主張し始めた。これは、国家としてのミクロネシア連邦の認識が大変危ういものであることを示していると主張した。

「女性と海-ミクロネシア・ヤップ島のケガレ観を中心に-」

 平成8年9月 環境文化研究所, 所報 環文研 第42号, pp.16-19

本稿では、E.デュルケームの聖俗二元論を基に、ミクロネシアのヤップ社会におけるケガレ観を分析した。その結果、社会的格付けなど社会的イデオロギーの中で規定されるデュモン的意味での不浄は聖なるものから隔離されているが、女性自身、あるいは女性の月経に対するケガレ観など社会的格付けを超えたコスモロジー的ケガレ観は、不浄視されると同時に力の源とも捉えられ、その両義的性格から聖俗二元論では説明しきれないと結論づけた。

「男性と海-ミクロネシア諸島民の分業形態-」

 平成8年6月 環境文化研究所,所報 環文研 第41号, pp.24-28

本稿では、エスニシティ研究に基づき、急激な近代化が進んでいる地域のひとつであるミクロネシア・ヤップ島において、エスニック・アイデンティティが現在どのような状況にあるのかを分析した。その結果、近代化に伴い、男性のほとんどは漁師からサラリーマンとなったため漁師が激減し、男性財である魚も缶詰を買うなど、男性は自らのアイデンティティの拠り所である海から切り離され、切実なアイデンティティ・クライシスを起こしていることを明らかにした。